前回の記事。
akiyuki2119067018.hatenablog.com
前回の仮調査からだいぶ日が開いたが、いよいよ本格的な機材を用いて調査を行う。
今回の調査は地元の建設コンサルタント会社である「アサヒコンサルタント株式会社」様のご協力により行われる。通常であれば数百万円かかる調査を今回は特別にボランティアで引き受けていただいた。本当にありがとうございます。
海底調査に使用する機材といえば「サイドスキャンソナー」が有名であるが、今回使用するのは「マルチビームソナー」。サイドスキャンソナーが超音波を用いた海底の写真撮影のような技術であるのに対して、今回のマルチビームソナーは500本以上の超音波を海底へ照射し、得られた膨大な水深の点群データを立体的に組み合わせるようにして海底の地形を再現する技術である。
調査前日。
この日は船にソナーなどを取り付ける作業。
ソナーを船体に取り付けるための金具。非常に堅牢で重く、これだけで船が傾くほどである。大小の木材を使い船体を傷つけないように、また、ソナーが水面に対して垂直になるように調整しながら取り付けていく。
マルチビームソナーのソナー部。
全て設置するとこんな感じ。船の後部にはデータを処理するためのコンピューター(?)やパソコンがある。写真は動作確認をしているときの写真。
また、この白い円盤状のものはGPSの受信機らしい。
正常に動作していることが確認できたので、ソナー部や金具だけを残して後は一旦片付け、事前の準備は終了。
明日、明後日で全てが決まるのかと思うと謎の緊張感があった。
美保基地のC-2。
そして調査当日。
天気晴朗、波の高さの予報は50cm~1m。前回の反省を生かして今回は酔い止めを持ってきた。
機材の準備をして出港したのは午前7:00。
この日は一段とまた船が揺れる。しかし耐性がついたのか酔い止めのおかげか、幸いにも船酔いすることはなかった。
今回の調査では前回の仮調査で存在を確認した「軍艦」と呼ばれる魚礁をまず調査し、それが駆逐艦「蕨」「葦」でないことが明らかだった場合は直ちに小説「美保関のかなたへ」や昭和2年当時の新聞報道などで事故現場及び蕨沈没地点とされてきた「美保関から北東20海里、東経133度35分、北緯35度49分」の付近へと向かう。
調査日程は2日間の予定だが初日で発見されれば1日で終了する。
↓当時の新聞報道等や市の歴史資料にある「沈没地点」のまとめ。
正直なところ、この「軍艦」という魚礁が外れた場合、調査はかなり厳しいものになるだろう。というのも当時の新聞や歴史資料で言われてきた蕨の沈没地点はかなり大雑把かつ情報源によってバラつきがあり、可能性のある場所を全て調査しようとすると調査範囲がとんでもなく広くなるのである。
上の画像のように地図で見ればこんな範囲くらい簡単そうに思えるのだが、現地に行くとよくわかる。
海はあまりにも広い。
というような心配をしている間にも船は進み続け、出港から2時間後の午前9時過ぎ、「軍艦」へ到着した。
機材の準備をして測定を開始する。
測定画面を見ながら船を操作し、雑巾がけをするようにして隈なく海底を見ていく。
この日の目標は「『軍艦』がどのようなものか把握する」ことである。
↓青くなっている部分が既に一度測定した地点。
↓ソナー部の様子。
しかしここでトラブル発生。GPSによる位置情報取得に不具合が生じ測定が思うように進まない。聞くところによると、この機材はGPSの補助電波(?)として携帯回線の電波を利用しているらしいのだが、今回はあまりにも沖合に出たためその電波が十分に届かず、電波が入ったり途絶えたりを繰り返すので、座標データに狂いが生じているらしい。
うねりに揺れる船上で至急、技術者さん達の作戦会議が行われた。測定機材を再起動したり、コードを接続し直したり、繋がらない電波をなんとか掴み、どこかへ電話をかけて相談したりと懸命の復旧作業がしばらく続く。およそ1時間後、ついにこの電波状況でもなんとか測定できるようになった。
午後から仕切り直して「軍艦」の周辺を調査していった。先ずは「軍艦」の正確な位置と大まかな形や大きさを把握するため、ビームの照射範囲を広く設定し粗くはなるが広範囲で測定を行う。
ビームの照射角度を広げているので得られる画像も粗く、何がなんだがよくわからない。やはり「軍艦」には何かが沈んでいるらしいのは確かなようだったが、測定画面ではそれが海底の岩のようにも見えたし、砂地から尾根だけ顔を出す山のようにも見えた。
この日の調査は午後3時で切り上げ、港へ帰った。
↓1日目に得られた測定データ。この時点では40m級の細長い物体が近い距離に2つ存在するらしいとの結果であった。赤くなっている部分が「軍艦」である。
↓少し見やすくした画面。海底に何か船のようなものがあるのがわかる。
本調査初日の時点でどうやら「軍艦」は本当に船であるらしいということが分かった。それも40mを超える巨大なものである。この時点では「軍艦」は同規模のものが隣接して2つあるとの見方だったので何か巨大な船が2つに折れているのではないかと予想された。しかしビームの照射範囲が広かったのと、終始調子が優れなかったGPS信号の影響であまり綺麗に写せなかったとのことであった。
この結果を受けて調査2日目は「軍艦」のより詳細なデータを取得することを主目的とすることとなった。1日目はビームの照射幅を広げて測定していたので、それを限界まで狭めて測定を行う。
また、せっかくの調査機会なので過去に「蕨沈没地点」とされた場所も時間があるようなら見に行くかもしれない。
謎の緊張感と高揚感にだいぶ後からきた船酔いが混ざり、この日はあまり眠れなかった。
そして調査2日目。
昨日同様、午前7時に港を出発した。
この日は波が全くない予報で天気も非常に気持ちの良い快晴である。
美保関町五本松公園の「平和祈念塔」もよく見える。
午前9時頃、「軍艦」に到着した。
既に2隻の釣船が釣りに来ており、鯛などを釣り上げている。「軍艦」は今でも魚礁として利用され、地元の人から釣りスポットとして親しまれている。
その釣船を避けて通るようにして測定を開始する。
釣りをしている人たちが「一体この船は何しに来たんだろう」と不思議そうにしているので「すいませーん、『軍艦』の調査に来ましたー」などと大声で挨拶などしてみたのだがいまいちピンと来ていないようであった。
この日の調査は前日とは打って変わって非常に順調である。
GPSの電波の問題を一体どうやってクリアしたのか私にはよく分からなかったが、おそらく昨日の夜に相当対策を練られたのだろう。
調査開始から程なくして昨日より精度を上げた測定画面に巨大な船のようなものが映り始めた。ちょうど釣船を目印にしてそのそばへ向かうと「軍艦」の真上に来るのである。
「蕨」「葦」海中調査 day2 「軍艦」直上を通過した時の測定画面の様子
昨日のデータと比べて格段に精度が上がっている。
どうやら昨日2つあると思われた海底障害物は実は1つしか無いようであった。昨日はGPSの位置情報が途中でズレてしまっていたため、1つのものが重複して見えていたようだ。
上のデータを少し横から表示した画面。これが天然地形でないことは明らかであり形状からしてこれはおそらく船である。
全長は単純な計測ではあるが48m、幅は約8mである。樅型駆逐艦は全長88m、最大幅7.9mなので一応全長の条件を満たし、幅は同じくらい。
全長から考えてもし仮にこれが今回探している駆逐艦だとするとこの船体は一隻丸ごと沈没した駆逐艦「蕨」のものであると思われた。これだとも違うとも言い切れないので、とりあえず次はこの船体を中心に周辺を調査することにした。「蕨」は船体が真二つになり「葦」もその近くで艦尾を切断されたため、もしここが衝突地点ならば近くにそれらも落ちているはずである。
結果として、半径約500mの範囲を捜索したが、他に船らしき物体は1つも存在しなかった。海底にはなだらかな砂地が永遠と続くばかりで小さな岩や人工物の1つさえ見当たらない。
周囲に何も見つからなかったため、この場所の調査は終了とし、続いて事故当時の新聞報道や市の歴史文献にある「蕨の沈没地点」へ向かうことにした。
特に↑の記事中で紹介している「しまね丸」やNHKの記者さんが過去に蕨を発見したという地点に何かが沈んでいることは確かである。しかし詳細な位置はあやふやなためその直上を船が通過することは一種の賭けのようなものであるのだが、それでもせっかく調査の機会を得たのだからやらない訳にもいかない。
「東経133度35分、北緯35度49分」を目指し移動する。この緯度経度の数値は秒以下の数値がないため有効数値的な考えでいくと2km四方の誤差がある。なおかつこの緯度経度の数値に数分のズレがあるかもしれないと思うと4㎞、6㎞と調査範囲はますます広くなる。
疑い始めるとキリがないのでとりあえず上記の座標ピッタリに移動し、そこを中心として半径1㎞の範囲を捜索した。近くの水深は130~180mといったところで、先ほどと同様にまるで整備道具でならしたかのように平らな砂地が続いている。
結局この測定範囲でも何も映らなかった。かつて「蕨」の船体とされた何かは確かにその付近に存在するのかもしれないが、今から見当をつけてそれを見つけるのはどう考えても不可能であった。
この日の調査は前日よりかなり長引き、日が暮れ始めたため、午後5時で調査終了として帰港した。
最後にこの調査2日目で測定した「軍艦」のデータを簡単に処理したものを見せて貰ったのでそれを紹介する。完成度としては70%程度のものらしく、ノイズの除去等を行った完成データが届くのはもうしばらく後になる。
斜め上から見た「軍艦」
透明になっている部分があるため平たく薄い板が反りあがっているように見えるが、この透明な部分はビームが当たらなかったところである。水深が96mと深いため横からビームを当てるのはかなり難しく、そのためこのように透明な部分が生じるがこの下にもちゃんと物体は続いている。
この色は高さによって変わっている。両端が高く、真ん中がくぼんでいるようになっている。
続いて上から見た図。
この「軍艦」の全長は約52m、幅は樅型駆逐艦とほとんど同じ7,9mである。
これが「蕨」なら右端が艦尾ではないかと思う。もし違うならこれで一隻の船であり右が艦首、左が艦尾ということになるだろう。
上の画像で左側の端を詳しく見る。
この物体がこれで一隻の船ならば幅が太いこちら側の端は艦尾であり、きちんとそれらしい形をしているはずである。
しかしどうだろうか。明らかに壊れたようないびつな形をしている。
経年劣化によって自然崩壊しているというよりは非常に強い力で破壊されたような印象を受ける。
最後に雑な加工で申し訳ないが、ハセガワのプラモデルのパッケージに描かれている樅型駆逐艦の設計図と今回得られた「軍艦」のデータを重ねてみた。
どちらも縦横の比率はいじっていないので形はそのままであるのだが、重ねてみると幅や形状はかなり近い。
それに右が艦尾だとするとそこから52mというのはちょうど艦橋の後ろ、第二砲塔のあたりに該当し「神通が蕨の艦橋めがけて突っ込んだ」という事故当時の話と概ね一致する。
こうして見ると艦首のようにも見えるが...
以上がこの度行った「蕨」「葦」海中調査の様子である。
現段階では今回調査した「軍艦」が蕨なのかどうなのかという判断はできない。今後最終的な測定データを貰った後、きちんと各部の寸法や構造を比較し、専門家等にも意見を伺いながら慎重に結論を出そうと思う。また決定的な判断材料として、機会があれば今回機材の都合で行えなかった水中ドローン等による写真撮影も行いたいところなのだが、調査費用などの面から今のところ実現する見込みはない。
今回、調査を実施してくださったアサヒコンサルタント様を始め様々な人の協力を得て、この調査を行うことができた。私自身も仮調査から合わせて3回も船に乗り、非常に貴重な体験をさせてもらったと思う。
書きたいことはまだまだたくさんあるが、どうもまとまりそうにないのでまた別の機会にしようと思う。
~おしまい~