こんにちは。
前回の記事では中海に海没処分された二式大艇について書きました。
akiyuki2119067018.hatenablog.com
結果的に機体は引き揚げられていたとのことで、少し残念でしたが、何より長い間詳細不明だったものが今回の調査ではっきりと分かって良かったと思います。
今後は得られた証言を歴史資料としてきちんとした形で残すということをやっていこうと思います。機体の有無以上に大切な作業です。
さて、今回はまたその二式大艇とは別の話。
二式大艇についての証言を得る前、安来市立図書館にて資料を探していると「島根県歴史大年表」という本にこのような一文がありました。
昭和20年8月17日、黒木村の美田湾という場所で飛行挺を機銃で銃撃処分した、と書いてあります。
見つけた当初は例の安来市の二式大艇のことかと思いましたが、日付が異なることからそれとは別のものだと判断しました。
他の文献もいくつか見てみましたが、一切この件に関する記述がありません。
これも記録に残っていないパターンか・・・?
そもそも黒木村の美田湾とは........一体どこのことなのでしょう.....??
黒木村という地名も美田湾という港もこの辺りでは聞いたことがありません。
調査を進めていくと、島根県隠岐の島に「黒木」という地名が部分的に見られることがわかりました。
どうやら現在の「西ノ島町」という地区がかつての黒木村だったようです。
合併で地名が変わったのですね。
↓こちらを参照。
そうなると美田湾というのは・・・
ここの事を言うのでしょう。「美田」という地名があります。
そして幸いにも美田湾の海図が手元にありました。
(海上保安庁刊行 W116)
結構な部分が未測ですね。
湾内に険悪地の記号が見られないことからこの時点で、機体は未測領域にあるか、もしくは引き揚げられたということが予想できます。
さて、黒木村の美田湾の場所はわかりましたが、この飛行艇の詳細や当時の様子などは未だ一切不明です.....
隠岐の島に行こうにも......遠いです。そして結構フェリー代が高い。
そこで資料を持っていそうな場所へ電話で問い合わせてみることに・・・
西ノ島コミュニティ図書館「いかあ屋」という場所です。
「行こうよ」みたいな意味の方言ですね。
事情を説明し、資料がないか聞いてみました。
数時間後返事が返ってきて、
「残念ながらこちらに資料はありませんでした。しかし、当時一部始終の様子を見た。というおじいさんが近くにいらっしゃいます。」
ということでした。
なんと、「実際に見た。」という方がおられました。
今回も運がいいです。
その後、図書館を通じてその方と連絡を取ってみましたが、お話を聞かせていただけることになりました。後日伺う予定です。
また、「西ノ島 戦争」でGoogle検索をしたところ、このような動画が出てきました。
↓これです。
この動画の冒頭部分に美田湾の飛行艇と思われる飛行艇の話が出てきます。
これによると戦争時、美田湾にいた飛行艇は偵察機であるとのことで、終戦後しばらくして引き揚げられたとのこと。
機体についていた岩ガキをみんなで食べたという話がとても印象的ですね。
以上、今現在で分かっていることはこれだけです。
空襲もなく平和な島だったという隠岐の島ですが、それ故、戦時下の様子などの資料がとても少なく、今回の飛行艇が一体何という部隊の何という飛行機だったのか、他にも飛行艇はいたのか、どのような基地がおかれていたのかなど、不明な部分が多いです。
来春以降に隠岐の島に行こうと思っているのでその時にまた新たな情報があったらご紹介します。
隠岐には以前から一度行ってみたいと思っていたので、いい機会です。
~続く~