こんにちは。
一式陸攻の事を調べ始めてから数ヶ月がたちました。
akiyuki2119067018.hatenablog.com
まさか近所の湖に過去に爆撃機が落ちたなんてそれまでは夢にも思いませんでした。
まぁ、それはさて置いて、ここ数か月の間に、インターネットや郷土の歴史資料、基地の関係者や海軍OBの方々の体験談などを通して色々なことを知りました。
その多くは私の知らない話だったので大変勉強になりました。
こういう事実を知っていくことで同じ場所であっても見る目が変わってきます。
早速本題に入りますが、ここ数ヶ月で見聞きした資料や証言から、
ということが分かりました。
訓練中の事故や、戦後の機体処分など様々な理由でこの周辺にはたくさんの飛行機が墜落、あるいは不時着し、海の底へと沈んだらしいのです。
しかし、それらが具体的にどこに落ちたのか、そしてその後どうなったのか等のことは曖昧で記録に残っていません。
なので今回はそれらの記録と、海図とを照らし合わせて色々と考えてみたいと思います。
akiyuki2119067018.hatenablog.com
今回、お話を聞かせてくださった自衛隊OBの方のホームページにこれらが詳しくまとめられています。ぜひご参照ください。
http://navy5532.com/kataribenosekimu.new.html
ここを参考にしながら、海図の険悪地と照らし合わせていくつか紹介します。
01:離陸に失敗した「銀河」が中海に墜落。
これは訓練中の事故だそうです。
「西側(中海側)へ離陸したかと思ったら上昇せず、そのまま二回ほど左に小さく旋回ながら中海に墜落した」という証言があります。
(海上保安庁刊行 W1174)
海図があるので見てみましょう。画像は旧滑走路の画像を海岸線に沿って海図と合成したものです。
東西にのびる白っぽい滑走路、(第一滑走路と資料にはあります)その西側の赤まるを見てください。「#」の記号があります。ちょうど左に旋回したような位置です。
近くまで行ってみました。
海図を見れば分かるかと思いますが、この「#」の位置はちょうど航路誘導のための浮標の真ん中にあるのです。そうなると遊泳や船の停泊は禁止。許可なしに捜索はできません。
まぁ、泳いで行ったら死ぬような距離ですが。
ズームしてギリギリ浮標が撮れました。
この浮標の真ん中には何かが落ちてます。
02:「彗星」が日本海側へ墜落。
これも訓練中の事故だということです。
美保湾へ向けて離陸した単発複座の艦上爆撃機、「彗星」が黒煙を噴きながら日本海に墜落したとされています。
日本海側の海図についても先日新たに購入しましたので、見てみましょう。
(海上保安庁刊行 W116)
こちらも海図と旧滑走路を合成してみました。
四本あるうちの右肩上がりに伸びる黒っぽい第二滑走路、この延長線上にも「#」の記号が多数見られます。ちょうどいけすのある場所です。
うーん、これも偶然でしょうか。
この周辺は漁礁がたくさんありますが険悪地の記号があるのは唯一ここだけです。
一体これらは何なのでしょう......
03:高射砲に撃たれた米軍機が島根半島沖に墜落。
戦時中、島根半島の高尾山には8門の高射砲が配備され、終戦間際まで隠蔽されていたと言われています。
それらが終戦間際に美保湾上空に米軍の飛行艇(双発のマーチン型)が飛来した際、これに対して一斉射撃を行い、被弾した飛行艇は島根半島北方海域に着水したそうです。
その後、その上空を飛来した同型機が乗員を収容し、被弾機を水没させて退去したということが語り継がれているのですが、資料も少なく、詳細は一切不明です。
これも海図に載っている範囲内の話です。
(海上保安庁刊行 W116)
この海域にみられる「#」の記号は1つ。高尾山の北、1400mくらいの沖合にあります。
この周囲の険悪地はこの場所だけです。
これは結構有名な話だと思います。
これについては搭乗員の方が書かれた手記「最後の飛行艇」という本に詳しく書いてあります。
日本海軍の傑作飛行艇である二式大艇(詳細は割愛)は全部で167機ほど製造されましたが終戦後、作戦行動が可能であった機体はわずか3機だけだったそうです。そのうちの一機が香川県にある詫間基地への移動中に中海に着陸し、搭載機銃による銃撃によって海没処分されています。当時、処分の様子は付近の住民も多数見守っていたそうです。
本によると安来市西方の湖上に一晩停泊したのち処分にかかった、とあります。
また、「安来の郵便局に事情を説明して」という一文があることから停泊した場所は安来市内の郵便局に近い場所だったのではないかと推測できます。
最終的にどこで処分を行ったかという詳細は書かれておらず、一切不明なのですが、付近の沿岸には水田が広がり、市街地からは離れた場所だったということです。本には停泊位置から移動したという記述はありません。
当初は取り外した機銃を岸に据え、そこから撃とうとしたそうですが、風で飛行機の向きが変わってしまったため、漁船を借りて飛行機の真横に移動し、そこから撃ったということです。燃料タンクに引火した飛行挺は激しく燃えながら沈んでいったと記載があります。
また、二式大艇の全高はWikipediaによると9.15m。本には最終的には尾翼も沈んで見えなくなったとあるので、その場所の水深は7~9m程度はあったのではないでしょうか。機銃の射程や命中させることを考えると岸からはそこまで離れていないと思います。
以上の情報をまとめると
- 処分前夜、安来市の西方に停泊していた。
- その付近には郵便局がある。
- 海没処分現場は市街地から遠く離れた場所で、沿岸には水田が広がっている。
- 沈んでいる場所は岸からさほど離れておらず、水深は7~9m程度(予想)。
という感じになりますね。
検証してみましょう。
家に干拓計画の地図がありました。1960年ごろの地図なので終戦直後とは異なる点が若干あるかと思いますが、他に無いのでこれでやります。
これで当時の土地利用の状況を知ることができます。
この地図と海図を照らし合わせます。
とりあえず、まずは海底の「#」を見ていきましょう。大きな物が沈んでいれば海図に険悪地として載っている可能性が高いです。
(逆にこれが無い場合はもうどうしようもありません。)
海図に載っている範囲で確認できる「#」の記号は5つです。
それぞれに番号をふっています。
(海上保安庁刊行 W1174)
まず、3、4について、ここは安来港です。
(海上保安庁刊行 W1174)
ここは市街地からは割と近い位置にあります。
護岸が埋め立てられ、昔と今とでは地形が変わっていますね。
現在、水田は見当たりませんが昔はあったことが地図から読み取れました。郵便局もあります。「#」の場所も中心市街地からは微妙に西にあります。
かなりの好条件に思えますが、水深が3~4mしかありません。
仮に戦後70年の間に浅くなったとしても、5mも浅くなるとは思えません。
実際に行ってみました。
こんな場所です。
ちなみにここが安来郵便局。
昭和15年の時点で既にここにあったことから、おそらく基地に電報を送るため立ち寄った「安来の郵便局」というのはここだったのではないかと思います。
水深と市街地との距離から考えて、ここは違うように思います。
続いて2について。ここはどちらかと言うと安来市の東側です。
そして岸からは遠すぎるように思います。こちらも水深が6mしかありません。
(2つを1つにまとめてしまっています。)
これもおそらく違うでしょう。
最後は1について。ここは鳥取県彦名町の埋め立て地の沖合いで、水深8.8m。
埋め立て前の沿岸は水田だったようです。ここは安来市の対岸でやや西より。北北西といった具合でしょうか。
#の場所は埋め立て前の海岸線からは約1km。岸から機銃で撃つにはちょうどよさそうな位置に思えます。
ここも実際に行ってみました。
彦名干拓地。現在、旧沿岸には耕作放棄された水田が広がっています。市街地からは遠く、家もまばらです。
ちょうどここからまっすぐに200mほどいくと例の「#」がある地点に行けます。
対岸に見えるのが安来市です。
ここは水深や沿岸の水田などは条件に合致していますが、安来市から離れすぎているのが気になります。
もし、この場所で処理を行ったのなら安来市沿岸で停泊した後、処理のため対岸まで移動したということになるのですが、それを裏付ける証拠は一切ありません。
また、祖父がこのあたりの出身(終戦当時は小学校3年生)ですが、こんな話は一切知らないし、聞いたこともないとのこと。
米子市の戦争資料にも二式大艇が云々という記載は一切見られません。
また、この二式大艇が紹介される時には毎回のように
「島根県の中海に海没処分された。」という書かれ方をされていることから少なくとも島根県側なのかなと思います。
上記の2箇所よりは好条件に思えますが、安来市から離れすぎていることと、鳥取県内であるという理由でここではないように思います。
う~ん。どれもダメですね。
そこで次は海図の記号関係なしに条件に合う場所を安来市周辺に絞っていくつか探してみました。
現在の地形についてはこの埋め込みのマップをご参照ください。
まず、ありそうだと思ったのはこの付近。
現在の「荒島駅」の近くの沿岸部です。安来市の西方にあり、沿岸には水田が広がっています。
海図がこれです。
(海上保安庁刊行 W1174)
水深は5~6m程度で「#」の記号などは特にありません。
実際に行ってみました。
割とそれっぽい場所にありますね。
ただ少し、水深が足りないように思います。
もう一つあります。それがこちら。
安来市の西端です。中心部から少し離れすぎとも思いますが水田などの条件に合致している場所です。
この緑の部分は埋め立て予定地で、現在はこの地図とそっくりそのままに埋め立てられてしまっています。
ちなみに海図はこれ。
(海上保安庁刊行 W1174)
現在埋め立てられている場所の元の水深は今となってはもう分かりませんが、この周辺全域が水深2~3m程度であることを考慮すると恐らく同じような深さだったと思います。
これでは余りにも浅すぎますね。
一時はここが私の中で最有力候補だったのですがこの水深を考えると可能性はだいぶ低いと言わざるを得ません。
以上いくつか候補を紹介しましたが、納得のできる場所は一つもありませんでした。
そもそも安来市付近で処分したのではなく、どこか遠くへ移動したのかもしれません...
とにかく一切不明です。
これは安来市の戦争記録などを参照してみる必要がありそうです。(載ってるかは微妙ですが。)
以上で紹介は終わりです。
墜落機と海図の険悪地、私にはこれらが何か関係がありそうだと思えてなりません。
その他にも戦後に事故で大破した占領軍のスピットファイアを基地周辺に埋めた等の興味深い話はまだまだありますが、また別の機会に回します。
~続く~