先日タウンメイト80を譲っていただいた近所の中華料理店から、今度は太平洋戦争時に一式陸攻乗りだった先代の店主の手記を貸してもらいました。
タウンメイトについてはこちら。
akiyuki2119067018.hatenablog.com
500ページに及ぶ大作、書き上げるのに10年もかかったのだとか。米軍や防衛省に連絡をとって検証を行い、巻末には戦果や当時の状況など様々なデータが詳細にまとめられています。
文章がとても上手なので戦争に詳しくない方にも読みやすいと思います。
これだけ貴重な内容の本にも関わらず、世にほとんど出回っていません。400冊ほど発行されたこの本の殆どは戦友とその遺族の方々の手に渡りました。
好評だったため、後に大手出版社から再販の話もあったそうですが断ってしまったそうです。ですので現在、一般人が読めるのは市立図書館と国立国会図書館にある2冊くらいしかありません。
早速読み進めていると...
目次のなかにとても気になる項目がありました。
1945年8月、終戦の3日ほど前になって突如進軍してきたソ連軍艦を迎え撃つため出撃した際、離陸に失敗して夜の中海に不時着したという話です。
神業のような着水で幸いにも負傷者はなく、全員無事だったそうですが当時、管制塔が無事離陸したと(終戦後まで)勘違いしており救助が来なかったとのこと。
「仕方ない泳いで帰るか」というところへ近くに住む漁師の親子が手漕ぎ船で助けに来てくれた。その後、救助に来なかったことに腹が立ち、結局軍に事故報告を出さなかった。というようなことが書いてあります。
手記によるとこの時、飛行機は美保基地から中海に向けて離陸しました。美保基地は現在では自衛隊の基地と、空港になっています。空港のほうは「米子鬼太郎空港」という変わった名前です(私は気に入ってますが)。
(Google mapより引用)
水深は最も深い場所でも17mと比較的浅く、大部分が水深10m以下です。
昔は海水浴や漁業もある程度されていたようですが、水質汚染によってその数は激減。
今では海水浴などもってのほか、漁業もほとんど行われておらず....つまりめったに誰も入らない湖なのです。
この辺りで一式陸攻が見つかった、引き揚げられたという話はおろか、落ちたことすら知っている人はいません。
もっと言えば、昔この辺りに旧日本軍の基地があったことでさえ知っている人はそう多くはないのです。
今回のことから、一つの仮説が立ちます。
それは...一式陸攻の完全な状態の機体が水深8mほどの湖の底に今も沈んでいる。ということ。
現在、国内にある一式陸攻の現存機体は山梨県の河口湖自動車博物館に復元機が1機あるくらいでもうほとんど残っていないようです。
これは貴重な戦争資料でもありますし、ましてや実際会ったことのある人の乗っていた機体です。できたら探してみたいと思います。
中海も最近、長年の努力によって泳げるほどには綺麗になりました(それでも泳いでいる人はいませんが)。これからもう少し情報を集めていこうと思います。
~続く~